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zoom RSS (詳細報告) 「子どもの幸せにつながる教育とは?」

<<   作成日時 : 2012/10/23 23:19   >>

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「子どもの幸せにつながる教育とは?」2012.10.6集会 記録
                 (於 明治大学リバティタワー 1123号)
主催者挨拶
(市民連絡会・長谷川)大津での中学生の自死事件がきっかけとなり、行政や学校から対策が出されているが、それを見ると上からの指導・対策に終始している。大切なのは子どもたち自身の主体的なとりくみで、それなくしては健全な学校生活はない。このような状況に学校をしてしまったきっかけは2006年12月に成立した改定教育基本法だ。それを作った男が政権を再び狙っている。
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第1部 = 現場からの報告 =
1.A区の現状 − (中学社会科教師)Kさん
 学校はここまできたかと日々嘆かわしい。A区は学校選択制。合同説明会でより多くの入学者を獲得するための準備も大変だ。そのために制服も変える。学校5日制の法律があるのに土曜授業が月1回ある。指定の授業時数をどうしたらふやせるかが最優先だ。放課後はなく始業式、終業式の日も授業があるのは当たり前。学力テストが多く、文科省の全国学力調査、東京都の学力テスト、A区主催の年2回の学力テストを実施して、毎回、テスト結果の振り返りをする。また結果をホームページに掲載する。一方生徒への授業アンケートがあって、授業のわかりやすさの率が高い先生は業績評価でいい評価がつく。教師は自己申告書を年3回提出しなければならず、その後に校長面接がある。校長の経営方針に異論がある人は「どんどん異動してくれ」と言われる。自分の評価に直結するので、教師は余計なことを言わなくなる。校長は保護者や地域による外部評価にもびくびくしている。ほとんどビョーキ。だから副校長は病気になる人が多い。


2.武蔵村山市の教科書採択の状況 − 富永由紀子弁護士
教科書採択時の教育委員会を傍聴したが、審議で教科書会社名は一切出ず、抽象的な議論のあと、表が出て一括で育鵬社に決めてしまった。事前に全て決まっていたのは明らか。教育委員会が形骸化している。武蔵村山市は子どもたちの主体性を踏みにじる行為が公然と行われているのが特徴。
例えば去年「中学生のための礼儀作法読本」というものが全校に配られている。内容はゾっとするようなもの。
教師だけでなく子どもに直接強制している点では都の先取りをしている。例えば学校選択制や中高一貫校も率先して実施しているが、閉鎖的な市内で非常にやりにくい。研究授業は他の市区町村の4〜5倍あって教師が忙殺され、子どもたちの教育がおろそかになっている。教育委員会は上しか見ていない。先日も武蔵村山市で「いじめ撲滅サミット」というのが開かれた。見かけは子どもたちが主体で、TV取材も入ったが、実は全部台本ができている。教育委員会が全部お膳立てをして、子どもたちはそれに振り回されている。国立二小事件を思い合わせる。現在の武蔵村山市の持田教育長は10.23通達を出した当時の都教育庁の指導課長だった。国立二小の卒業式は子どもたち自身が台本を作り、何か月もかけて作り上げた。それを当時の持田課長はめちゃくちゃにした。武蔵村山市は大変な異常な状況下にある。

第2部 = パネルディスカッション =

矢倉久泰さん(コーディネーター)
教育は本来子どもの幸せのためにあるものなのに、今までそういう本も集会もなかった。参加の皆さんそれぞれが子どもの幸せについてのイメージを持って帰って頂ければと思う。

リヒテルズ直子さん(教育研究者)
◆私は26歳までしか日本にいなかった。マレーシア、ケニア、コスタリカ、ボリビアと、いわゆる世界の開発途上国に15年くらい滞在した。当時は日本が非常に豊かで輝いていた。その後オランダに帰ったが、オランダは厳しい状況を乗り越えてグローバリゼーションの波に乗った頃だった。90年代以降の日本は徐々に悪くなり、現在に至る。武蔵村山市をはじめ日本の教育の状況を見ると超現実的で、こんなことが本当にあるのかと驚く。日本に必要なのは「今世界で何が起きているのか」ということをもう一度学び直すことだ。
◆2007年ユニセフの報告書でオランダの子どもたち(15歳)の“幸福”度が世界一になっている。幸福感が跳びぬけて高い。日本の子どもたちは“孤独と感じることがあるか”という質問で「ある」が29.8%もある。他の国は10%以下で、オランダは2.9%だ。
WHOによる調査報告書で「生活に満足しているか」という質問には41の国・地域中オランダは第1位。「学校が好き」は第4位。「学校の勉強がプレッシャーになっているか」の問いには「ならない」。「両親に何でも相談する」が80%近い。思春期なので年々下がる国が多いのに、オランダは下がらない。これは親の労働形態が変わったことの副産物として家庭での時間が増えた結果と言える。「働け、働け」の時代から、ワークシェアリングなどで「働ける人が働き、社会全体で生活をきちんと守る」というポストモダンの時代にオランダは入っている。働くために生きているのではなく、生きるために働く。こうするのは大変だが、オランダや北欧諸国は実現している。そのおかげで毎日5時過ぎには両親が帰宅する。
◆オランダが変われたのは大きな理由が2つある。1つは1917年の憲法改革。23条の「教育の自由」ができたこと。理念の自由と設立の自由。200人の親が署名をすれば学校を作ることができ、それに国がお金を出す。教育方法の自由もある。異年齢の子どもたちによる学級編成も可能。教科書や道徳なども自由度が高い。2つ目にオランダの宗教、宗派は(例:カトリックかプロテスタントか)、無宗教も含め、どれひとつとして多数派はなかったこと。マイノリティ同士がお互いを認め合うしかなかった。
◆近代の教育をみると経済発展のための為政者側の流れと、もう一方で市民意識、市民の自由を求める根強い流れとがある。強いのは、やはり産業化、経済優先の潮流だが、そうでない流れの人たちが声を上げ続けた。声の原点は民主制であり、市民意識だ。そこが日本では抜けている。
日本の教育はいまだに「産業化社会の教育」だ。明治期に最先端のヨーロッパの教育体制を導入した。しかしヨーロッパもアメリカも変化したのに、日本はそのままだった
日本で60〜70年代になぜ市民意識が実らなかったか。冷戦構造の中で、やっと芽生えた市民意識をつぶす要素が多かったし、日本人が経済発展に酔っていた。
◆多くの国々で教育に大きな変化があった。オランダは60年代に教育の自由が実現し、広がった。オランダの学校は公立が3割で私立が7割だが、経営は全く対等で、親の経済的負担は全く同じ。私立は宗教系やフリースクール系であり、公立は宗教色がない。授業の3割は独自の教育をやってよい。フリースクールの源流とは何か。19世紀後半、近代のものすごい産業化の波即ち「生きるために働くのでなく、働くために生かされる」という状況で人間が歯車のように扱われるようになった時期に、デューイらの教育者たちが「これでは共同体がこわれてしまう。だから学校を共同体にしよう。子どもが幸せに育まれる共同体に。」と提唱した。それが戦後60年代になって広がった。産業化社会から脱産業化社会へ。ヨーロッパが本当の市民社会を実現したのが60年代だ。
◆今のオランダの教育はどうなっているか。
1.デジタル化:15年前からIT教室がある。個別重視教育の徹底。すべてコンピュータに集約され、個々人に応じた認知的な教育プログラムが可能になった。
2.特別支援教育と普通教育の統合化:どんな障害を持った子でも希望すれば必ず普通の学校が受け入れなくてはならない。
3.民主的シティズンシップ教育: (例)上級生が小さな子どもたちのけんかを仲裁する。市民同士での解決。
4.ホンモノからの学び: 教科書からでなく本物から学ぶこと。
5.協働の重視:(例)生徒同士の学び合い。
6.システム理論の導入:アメリカからの輸入だが自由なオランダで広まった。
7.脳科学の研究成果の利用:(例)青少年にはネガティブな言葉は言ってはいけない。ホメまくる。
8.性教育の復活:文化によって考え方がちがう。境界線を尊重しなければならない。タブーにしない。

デジタル化によって教育効果は格段にアップした。なおかつ時間に大きな余裕ができた。これまでは教科的な学力の育成と社会的な情動性−こころの教育とは対立すると考えられてきたが、そうではないことが実証されてきている。脳科学的にも教科教育だけをやるのではなく、社会情動性、精神の安定、心の教育をやらないと学力は伸びないことが証明された。つまり「子どもたちが幸せでないと学力は伸びない」ことがOECD調査でも報告された。
◆ 共同体がしっかりあった産業化以前の社会は学校は読み・書き・算数の3Rだけでよかった。
産業化以降、経済至上主義になり、手段が目的となってしまった現代では
3Rに加えて5C(critical thinking, citizenship, creativity, corporation, communication)を高めることが重要になった。子どもたちが自身で学びの意義を感じられるようにする。それが最終的に3Rの発達になる。
効率主義の教育では中国やインドにかなわない。そうでない子どもを作るには先生はカリスマではなく、人生の先輩のファシリテータとなって、先生と生徒の力を合わせて教育を作り上げる。過去からの遺産を受け継いで未来の子どもたちへ渡していく。今の地球は未来の子どもたちから借りている、それを子どもたちに返していくために何をするのかということを考えなければならない。

福田誠治さん(都留文科大学教授・副学長)
◆北欧は社会民主主義だが、フランスやドイツも含め、英米のアングロサクソンとは違う教育をしている。社会主義国と地続きだったためかニューレフト寄りと言える。
◆デンマーク
例1.教室はデジタル化されている。生徒の個人を尊重している。学童保育が学校の中に入っている。生活の中での学び。給食はなく子どもは自分で判断して食べる。
中学3年生で全国学力テストを受ける。パソコンを使って学内LANで数学1教科で4時間行う。ノート参照しても食べながらでもよい。考える力そのものを測る。日本でゆとり教育が失敗したと言われるのは、先生にゆとりを与えなかったことと、新しい学力を古い学力テストで測ったため。
オーデンセ市の教育委員長によると「学習目標は3つある。@共同生活ができること Aその成果を発表できること B必要な情報を自分で集められること―すべてを学校では学べない。そのことを理解する。生徒の学びは一人ひとり違うので、みなが同じことを覚えてテストするという発想はない。
学力面だけを見るとデンマークは最低かもしれないが、必要な知識を手に入れる能力は優れている。学業がよくできるのではなく、人間として豊かなのだ。」政治問題についても学校でよく討論する。
例2.コペンハーゲンの進学校。落書きでいっぱい。授業を編成するのは先生。教科書は先生が自分で選ぶ。本物の本を使う。全国規模の教材センターがあり、先生の要望に応じて教材や資料を送る。
例3.工業高校。3万人在住の地域の工業高校の予算が13億円! 日本の倍以上の経費をかけている。
例4.フォルケ・ホイ・スコーレ。市民自立のための学校で単位もなく成績もつかない。
自ら学ぶことを徹底している。先生はアドバイスする。私立学校については政府が75%支給する。
例5.エフタースコーレ  義務教育(中学まで)卒業後の学校。全寮制で生活習慣を身に付けさせる。

◆フィンランド
1972年に教育改革。小・中の統一義務教育。1992年にソビエトが崩壊し大不況に陥る。大赤字になったが、だからこそ教育に予算をつぎ込んだ。小さな政府にし、教員に現場を任せた。金は出すけど口は出さない。

教員 生徒
 ・教科書検定なし  ・自分のために学ぶ(学習義務)
 ・視学官廃止  ・課題こなせば後は自由
 ・16歳までテストなし     (自己評価重視)
 ・教員評価なし  ・授業料は無料、教材費も無料
 ・45分の授業に90分の自己研修
 ・授業の仕方は先生まかせ

生徒は一人ひとり違う。それを指導する先生のやり方も一人ひとり違うので比べられない。先生はプロ。だから評価なし。
人間は自由にすることこそ一番創造力が生まれる。一番安上がりでうまくいくと政府は考えた。
<学習指導要領の変化>
(1)1970年国家カリキュラム策定  一人ひとりを尊重する原理をつくる
(2)1979年教員は修士号もつプロフェッショナル
(3)1985年地域の教材を生かせ。習熟度別授業廃止=>先生が大変=>教師の給料1割アップ
(4)1994年現場にすべて任せる。 職業教育の充実。

先生の平均退出時刻は14時57分。帰宅時刻は15時29分。睡眠時間7時間43分。
昨年の連続休暇日数63.2日(日本は5.7日)

三上昭彦さん(明治大学教授)
◆二人の報告を聞いてあまりの落差にとまどう。日本にはそもそも教育の自由という概念がない。そういう自由な学校は事実上つぶされてきた。
◆3.11から1年半たつが未だにトラウマから抜け切れない。なぜ文明が発達した経済大国、技術大国日本でこれほどの災害が起こり、2万人近い死者が出たか。
今回の災害は広域巨大複合災害と思っている。
広域性、巨大性、現代性(文明が発達するほど被害は大きくなる。例:高さ10メートルの大防波堤があったため逃げなかった人がいた。そこでは1000名を超す死者が出た。人間の技術と知恵で自然に対抗するという行為が完全に打ち砕かれた)
複合性(その最たるものが原発災害。スリーマイル、チェルノブイリの二大事故がありながら日本では起こりえないという安全神話があった。その根拠になったのは多重防護のシステム、訓練された人員がいるという事情。
専門家、マスコミも同調し、副読本で教育も行われた。4号機の再臨界を世界が最も恐れた。「高度技術化された日本がなぜ」「どのように収拾するのか」と国際的に注目されている。初動対応に失敗し、その後のさまざまな対応にも失敗している。失敗の一番の問題は、災害に対する事前の準備がなされていなかった。最大の被害者は原発付近の住民。
◆個人的に大きな衝撃を受けた。
1. 自分自身が知らなかった。1000年単位で起こる地震がある。日本列島の自然に対する無知。
2. 原発について:「どうしても理解できないのは日本人は唯一の被爆国なのにどうしてやすやすと54基もの原発を作らせたか」(ベック − ドイツ)
「日本列島は世界の地震の巣窟。このような地震大国でどうしてこれだけの原発設置を許したのか」(シュラーズ − アメリカ)
私なりの結論:背景に「原子力の平和利用」という詭弁を受け入れる下地があったことと、経済振興優先
  の政策の中で「未来の夢のエネルギー」という位置付けを与えてきたこと。そこに安全神話が入り込む。
  しかし原発立地地域はやすやすと受け入れたわけではない。最初は抵抗運動があった。住民運動の結果
  設置できなかったところもある。

◆今回わかったのは、大人自身の学力、教養の問題だということ。子どもの教育を言う前に大人がどれだけ現実を知っていたか。経済優先、国際競争の中で本当に大事にすべき価値=自然との共生、命の大切さ、もろさを軽視してきたのではないか。教育制度でも、そういったことを抜きに国策に同調してきた。
日本の教育システムの特性は、学校教育によって人材を養成し、選別し、学校歴によって人々を社会的に上昇させる手段とさせる。イギリスの社会学者ドアーは「学歴社会は後発国が人材の養成、選別のために作り上げたもの」と言う。日本があてはまり、韓国はさらに強烈な受験競争がある。
オランダ、北欧の夢のような教育にどうしたら近づいていけるか。グローバリゼーションの激烈な競争社会の中でどうしたら競争しないで協調していけるか。

矢倉久泰さん
3人の話を聞いてヨーロッパ各国の教育と日本の教育が対比され、日本の教育の問題点が浮かび上がった。日本は経済成長を続けるため、ひたすらGDPを向上させる人材を育成するための教育をやってきた。学力テストで競争をさせて最終的に原発容認の社会になったわけだが、戦後の教育体制を根本的に作り直す必要がある。それが子どもの幸せにつながる教育とは何かということにつながる。これからの日本の教育のありかたを発言してほしい。

福田誠治さん
フィンランドの教育を研究する中で「競争やめたら学力伸びた」という本を書いた。それでも競争するという人がいたから「競争しても学力行き止まり − イギリスの失敗」という本を書いた。でもまだ大阪市長などそう言っている。なぜ学力の低い、失敗した国のやりかたをまねるのか。
宿題はない、勉強は学校のみ、授業数は少ない。塾はない。なぜそんな北欧の国がアジアの必死な国と互角以上なのか。
ネオリベラリズムにも2つ潮流がある。権利としての教育か、商品としての教育かという対立項でユネスコはじめいろいろな場でたえず論争している。日本の大学は急速に商品化してきている。日本の教育は空洞化して産業さえ支えられないようになるだろう。ヨーロッパはなぜ違う道を歩むのか。勝ち組、負け組で競争したら、小国は負けるに決まっている。他者と組んで束になるしかない。両方に顔のきく小国こそキャスティングボードを握る。一人ひとりが人間で、一人ひとりが違っていていいのだという考え方になれるかどうか。
日本の原発問題で言えば問題解決力があるかどうか。想定外のことにどう対処するか。東大出の専門家たちがおろおろしていた。想定しなかったから私に責任はないという人間を育ててしまった。想定できるようにいろいろ学ばなければならないし、それでも予想外のことが起こったときに使える学力をつけなければいけない。
日本は国民の教育権が国家の教育権にすりかわっている。国際的潮流は教育権の定義は「一人ひとりの積極的な学習行為を認め、それを支援する教育へ」と変わってきている。

矢倉久泰さん
 学力主義で育った優等生は想定外に対処できない。一人ひとりの学びを大切にするオランダはどうか。

リヒテルズ直子さん
  最初の1分間を皆さんにあげる。1分間で教育の目的とは何かを考えてください。 100人いたら100通りの答えがある。それが民主的な教育。民主主義はデモクラシー. 社会主義はソーシャリズム、自由主義はリベラリズム。皆ismイズムがつく。しかしDemocracyにはイズムはつかない。Democracyはあらゆるismがありうる存在のこと。それによって社会を保っていく。. 
働くために生きるのか、生きるために働くのか。オランダ人は60年代に生きるために働こうと決めた。
ヨーロッパは原発ができてものすごい論争が起きた。環境問題が起き、学者の責任が問われるようになった。産業社会はあと戻りができないほど地球を傷つけている。経済発展はより良い生活をするためだったが、ある時点から経済発展そのものが目的化した。原発事故は権力闘争の象徴。脱産業社会をめざすオランダが新鮮に見える。なぜDemocracyが大事か。民主主義はまさしく危機管理。一人ひとり違うからいろいろな意見がある、意見を言える、だからいろいろな見方ができる、同じ問題に対し社会にコミットしながらいろいろな考え方ができるから危機管理できる。より良いものが生まれる多様な豊かさがある。絶対制、独裁制、官僚制に任せてしまったら危機管理できなくなる。その典型が日本の状況。危機管理できなかった。その日本人を作ったのが今までの日本の学校制度だ。だから危機管理できないような学校制度に組するようなことはしないでほしい。日本は封建主義から近代の個人主義までは来たが、それから先の相互依存には至っていない。
しかしまずは、independent―自分の頭で考える―でなくてはならない。それが危機管理への最も近道だ。あなた任せにすることはできない。最も大切なのは民主体制で、それを維持すること。民主体制が少しでも危ないと思ったらコミットすること。そういう子どもを作れるかどうかにヨーロッパもアメリカも必死に取り組んでいる。日本の津波や原発事故を見て一層強まった。日本でなぜそうならないか。言い訳はいくらでもできるが、それを乗り越えるしか出口はない。震災後の日本の方がエネルギーがたまっていることを感じる。

三上昭彦さん
 教育改革に特効薬はない。山積する問題のどこから手をつけるか。 少子化が進んでいながら、ある層では受験競争が激化している。他の子たちは降りている。
かつては明治大学でも自主的学習、独自の学生文化があった。今は少人数授業でも学生が寝始める。学習意欲に違いがある。欧米では「あなたはどう考えるか」とたえず問われるのに対し、日本の教育ではただひとつの答えをつめこむ教育を得意とした。自分の頭で考え、自分で学ぶ魅力的な教育制度をどうやって取り込んでいくか。
もうひとつは地球上の南北問題。アメリカにも南北問題がある。この世界構造をほりさげていくことが必要だ。

矢倉久泰さん
震災以降、日本でもお任せ民主主義でいいのかという問題意識がある。私たち一人ひとりが主権者としていろいろな問題にかかわっていこう。これからは自立した市民を育てるシティズンシップ教育をしっかり子どもたちにやっていく必要がある。
そしてひとつ言えるのは子どもが幸せと感じる学校とは子どもが居心地がよい学校だということ。今日はどうもありがとうございました。

  


          

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