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2012年1月30日 土肥元校長の「学校における言論の自由」に不当判決

2012/01/30 23:52
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判決はわずか10秒たらず。「主文 原告の請求を棄却する。弁護費用は原告の負担とする。」と読み上げたのみでした。法廷から出てきた土肥先生は、裁判所前で待ちうけた支持者に対し「嘘をついたもの(都教委)が勝って正直者がバカをみるような社会は許せない、即時控訴して闘います。」と述べました。
 また代理人の吉峯弁護士は「全くありえない判決だ。裁判長は何のために仕事をするのか。このような裁判は許されない。国民の期待をうらぎる最低の判決だ。しかしいろいろな裁判官がいる。さらに高裁で審議を求める。正しいことはいつか報われる」と述べました。
 報告集会では、高橋弁護士が「一部の事実認定については裁判所がこちら側の主張を認めたものの、ほとんど一方的に都教委側の主張を追認したものである。特に争点最後の項目の不合格処分の不当性については、裁判所も「土肥先生が意見表明をしたことに対してマイナス評価をしてはならない」と認めたものの、低評価が「選考実施要項に反するとは言えない」として、全く都教委の裁量に全面的に追随する内容といえる。」と述べました。詳しくは、土肥元校長の裁判を支援する会のHPおよび訴訟代理人 吉峰弁護士の声明をご覧下さい。
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2012年1月16日 都教委の暴走に歯止めをかけた最高裁判決(処分一次訴訟)

2012/01/26 22:51
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1月16日(月)最高裁は3つ判決を出しました(東京「君が代」裁判一次訴訟、河原井さん・根津さん裁判、アイム89裁判)。職務命令違反に対する戒告処分を妥当としたものの、不起立のたびに処分を累積的に加重し減給・停職とすることを違法と断じました。満足な判決ではありませんが、都教委の暴走に対する歯止めとなる判決でもあります。 詳しくは、被処分者の会、および予防訴訟をすすめる会を参照下さい。
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2012年2月4日集会   2・4東京教育集会

2012/01/20 12:58
改悪教育基本法から6年、3・11から1年、一緒に考えてみませんか 東京の教育

 新学習指導要領の全面実施(中学は来年度)をはじめその具体化がすすめられています。 4選した石原知事は唯一できなかった「破壊的教育改革」をやると表明しました。 憲法を守り、1947教育基本法の理念と「子どもの権利条約」にもとづく教育を、子どもたちと私たちの手にとりもどしましょう。あらためて、東京の教育改革の総活を行い、これからの東京の教育をどのようにしていけばよいのかご一緒に考えてみましょう。
*日時:2月4日(土)13:00開場 13:30開会  (16:10終了予定)
*場所:すみだ中小企業センター  サンシャインホール http://www.city.sumida.lg.jp/techno_city/kinrou/sisetu/tyusyoukigyou_center/gaiyou.html *JR総武線「亀戸駅」または東武線「曳舟駅」下車して、東武亀戸線に乗り換え「小村井」駅へ。駅から徒歩6分。

 ★基調報告 中田康彦さん   (一ツ橋大学院社会学研究科教授)
   「今、改めて教育改革の意味と行政の役割を考える」
 ★リレートーク「変えよう!東京の教育」
   1. 子ども・子育て新システムで保育・幼児教育はどうなる
   2. 子どもたちを放射能から守る取り組み
   3. 「日の丸・君が代」強制とたたかって
   4. 子どもたちによりよい教科書を渡すには
   5. どうなっているの、教育の現場は
   6. 子どもの貧困、児童虐待をなくすためには
   7. 特別支援学校はいま
   8. 子どもたちの学習権を守るために
             *主催 2・4東京教育集会実行委員会 TEL03−3230−4060 FAX 03−3230−4090                  
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根津さん、佐藤さん、土肥さんの映画 『”私”を生きる』が東京と大阪で上映

2012/01/13 21:40
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土井敏邦監督のドキュメンタリー映画『”私”を生きる』が東京と大阪で上映されます。
映画は、都教委による「日の丸・君が代」強制に反対する根津公子、佐藤美和子さんの姿、そして、言論統制に異議を唱えて闘い続ける、われらが土肥信雄先生の生き方を記録したものです。

★東京:2012年1月14日(土)〜27日(金) オーディトリウム渋谷 12:50
★大阪:2012年1月28日(土)〜2月17日(金)シアターセブン(「シアターセブン」は「第七藝術劇場」と同じビル)
 1/28(土)〜2/10(金) 10:30-12:48
 2/11(土)〜2/17(金) 19:00-21:18
上映に関する詳しい情報は、『"私"を生きる』ホームページをご覧ください。http://doi-toshikuni.net/j/ikiru/index.html

オーディトリウム渋谷ではトークイベントもて開催されます。 ※いずれも上映終了後に開催予定
1月14日(土)<公開初日>    根津公子さん、佐藤美和子さん、土肥信雄さん、土井敏邦監督
1月15日(日) 佐藤美和子さん(出演者)
1月17日(火) 永井愛さん(劇作家)
1月18日(水) 根津公子さん(出演者)
1月20日(金) 永田浩三さん(元NHKプロデューサー)
1月21日(土) 根岸季衣さん(女優)
1月22日(日) 高橋哲哉さん(東京大学大学院教授)
1月25日(水) 土肥信雄さん(出演者)
1月27日(金)<最終日>  土井敏邦(監督)
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詳細報告版 2012年3月4日 「国策」のための教育から、子どもたちのための教育へ

2012/01/11 22:31
共催:学校に自由の風を!ネットワーク、「子どもはお国のためにあるんじゃない!」市民連絡会、子どもと教科書ネット21

主催者挨拶(長谷川さん)

 なぜ、今このようなタイトルの集会をやらなければならないのか。60年前にやったことのはずなのに。
教育基本法改悪から国策教育が進み、「何も考えない」「職員会議でモノ言わない」教員が作られてきた。東京で行政権力がやったことを、大阪では条例化しようとし、さらに、安倍晋三は大阪の条例を国の法律にしようという許せないことを言っている。
 いま、問われているのは、教員、親、市民の自治能力。一人一人が主権者として、教育をどちらの方向に持って行くかを決めなければいけないときがきている。

【第1部】「日の丸・君が代」最高裁判決を受けて 加藤文也さん(弁護士)

 東京都教育委員会が出した2003年10月23日の通達(10・23通達)は、教育行政を根底から変えるものだった。「日の丸・君が代」を強制して教職員の主体的活動を制限し、教育現場を命令で運営するものにした。
 2006年9月21日の東京地裁判決(難波判決)は、「日の丸・君が代」強制を違憲・違法と断じる画期的なものだった。しかし、その直後の同年12月に教育基本法が「改正」され、翌2007年2月に「君が代」伴奏拒否訴訟の最高裁判決で、「職務命令は、思想・良心の自由を制約するものではない」として敗訴。。
 2011年5〜7月に相次いで、「日の丸・君が代」強制関係の最高裁判決が出たが、弁護士出身の宮川光治裁判官だけが、「少数意見」として、「日の丸・君が代」を強制する職務命令は、思想・良心の自由と深く関わる問題であること、学習指導要領の国旗国歌条項を根拠に、起立・斉唱を職務命令とすることはできないことなどを述べている。宮川裁判官は2012年1〜2月の最高裁判決でも、教員には教育の自由があり、職務命令は明らかに憲法違反だと述べている。このような少数意見に注目してほしい。

対談 「国策」を支えてきた教育  戦前から現在
浅羽清二さん(元中学校社会科教員・81歳)  現役小学校教員「A」先生(30歳代)
   司会・東本さん


――まず、自己紹介を
「A」先生 1977年生まれ。浅羽さんは、自分の祖父と同じ歳。東京都の公立小学校勤務で、教員になって10年。ちょうど石原の10年と重なっている。
年々教員への管理、支配が進み、自殺者も増えている。自分も、やりたいことをやらせてもらえず、校長と議論しに行ったが、まったく相手にされなかった。これは一人では闘えないと、インターネットで探して組合に加入した。
 工業高校に通っている時、東チモールの井戸掘りボランティアに行った。そのとき現地の友人が何人も殺される“戦争体験”をした。「人は人を殺してはいけない」が自分の原点。
浅羽 1930年生まれ。15歳までは「お国のために」の教育を受けた軍国少年。15歳のときに、大日本帝国憲法が目の前で崩壊し、価値観が180度転換する中で青年時代を送る。旧制中学2年のときに「日本国憲法」ができ、「平和で文化的な国家」という憲法の理念を受け止めて、1953年に教員になった。
1989年まで中学の社会科教員を務め、1年再雇用で、1990年に退職。「家永教科書裁判」を1965年からずっと支援し続け、現場と教科書裁判の40年だった。

――「日の丸・君が代」強制に関して、現場の教員の反応は?
「A」先生 若い教員の間では、まったく話題に上らない。日の丸の「ひ」の字も出ない。君が代を歌うことで評価が上がるので、若い教員は元気な声で全力で歌う。「なぜ歌うの?」と聞くと、「歌わなくちゃいけないから」。「日の丸や君が代のことをどう考えてるの?」と聞いても、何も考えていない。思考停止状態。「日の丸・君が代」問題にまったく向き合うことなく歌っていることがいちばん怖い。
 卒業式が話題の職員会議で、珍しく若い先生が手を挙げた。その発言は、「卒業生が在校生に呼びかけるとき、卒業生が日の丸にお尻を向けることになってしまいます」というもの。校長は「素晴らしい意見だね」と。呼びかけはそのまま行われたが、年配の先生も口をつぐんで何も言わない。

 もう一つの例。自分は去年異動だったが、異動先で「辞令伝達式」というものがある。4月の忙しいときに役所に呼ばれ、まず入口で名簿が配られる。指導主事用の名簿には、名前の下にそれぞれ空欄があり、君が代斉唱のときにちゃんと歌っているかを一人一人チェックする。会場の正面には大きな日の丸が掲げられ、一人一人名前を呼ばれ、「はい!」と返事をして立ちあがり、辞令をもらいに行くのだが、この返事の声が小さいと、また「○○君」と呼ぶ。自分は返事をしなかったが、3回名前を呼ばれた。こんな調子で200人の辞令を渡すのに2時間かかる。会場の入口には、市内すべての学校の校長がズラリと並び、自校の新任教員に「しっかり歌うように。返事は大きく」と声をかけ続ける。

――「日の丸・君が代」と、戦争に向かう教育のつながりは?
浅羽 戦前の学校では、儀式のときに日の丸は掲げなかったが、その代わり「御真影」が掲げられ、校長が教育勅語を読んで、君が代斉唱。そして、お菓子をもらって帰るという儀式が年4回くらいあった。日常でも、校門に国旗が掲揚されていて、修身の時間に君が代などの話がよくあった。「日の丸・君が代」は、軍国主義教育のシンボルだった。
 戦後、1958年の学習指導要領改訂で、「儀式で日の丸掲揚、君が代斉唱が望ましい」とされ、毎年職員会議では、激しい議論になった。私がいた三鷹市では、最後まで「日の丸・君が代」がある卒業式だったが、教員の大半は反対していた。異動した杉並区では、退職までの16年間、ずっと「日の丸・君が代」のない卒業式。子どもが卒業式の歌をつくり、平場で行われた。教職員、保護者、市民の反対の中で校長も強行できなかったのだと思う。
 再雇用になると、職員会議での発言権・採決権がないが、出席した。一人の女性教員が「君が代は卒業式にふさわしくない」と発言。すると、教頭や教務主任が「それはもう古い。すでに解決している問題」と。私は頭に来て発言権がないにもかかわらず食ってかかったが、それから20年。今は職員会議で話題にもならないというのは、隔世の感がある。

――教員同士のかかわりや、教員研修について
「A」先生 いま青年教職員にとっていちばんの問題は、毎年のように初任の先生が自死していること。初任者研修の一つに「接遇マナー」というのがあり、授業中に子どもに自習させるなどして、「お辞儀の角度」「電話の応対」などの研修を受ける。江戸川区のある女性新任教員が、「こんな研修のために子どもを置いてきたわけではない」と言ったら、もう大変。管理職に恫喝されまくり、追い込まれて、結局3人の子どもを残して自死。こんな「権力の人殺し」があちこちで起こっている。

 西東京市では、自殺者を出さないための対策として、退職校長が新任教員の悩みを聞く「教員アドバイザー制度」というものを作った。自分の妻がたまたまこの制度の該当者だったが、「○日に、○先生が来てくださるので、悩みをレポートにして出すように」と言われ、悩みを書いた。いま、学校では、学級通信一つ出すのでも、「下駄判」といって、主任、主管、副校長、校長の判を押してもらわないと出せないのだが、「悩みレポート」も下駄判で、副校長に「こんな悩みがあるか!」と突き返された。「悩み」の中身も管理され、「授業に子どもが乗ってこない」などの“よい悩み”しか受け付けてもらえない。そして、「せっかく○先生が来てくださるのだから、授業も見てもらいなさい」と、授業指導案を作ることを命じられ、それをつくるのにボロボロに疲れる。行政の“対策”は見せかけにすぎない。
 現場では、教員どうしの学び合い、支え合いはまったくない。教員は、ABCDで評価され、Cランクは給料も下がるから、若い教員は評価を怖れて、たとえクラスがうまくいってなくても隠す。まわりの教員も忙しいから見てくれない。そうやって孤独の中で生活している。

 病休がすごく多い状況に対して都教委がやっているのが、額に10秒当てるだけでトレス度がわかるという「ストレスチェック」の紙の全教員への配布。いま自分はお尻のポケットに入れていた熱で少し赤くなっているが(笑)、怖いのは、メンタルヘルスを個人の責任にしていること。原因を追究することなく、倒れるのは本人の責任、自分でコントロールせよと言う。そうやって分断された生活の中で、病気や自死に追い込まれる教員が後を絶たない。
 もう一つ例を挙げると、職員会議で校長が「○○先生には今年度いっぱいで辞めてもらいます」と言う。ほかの教員はダンマリ。現場は即戦力を求めているので1年でつぶれるような先生は、即サヨウナラ。1年目も失敗できない中で、1人で抱え込み、倒れてしまう。

浅羽 私が教員になった1953年は、勤務評定もなく、教科書は学校ごとに選択、学習指導要領も法的拘束力がなく、学校には自由な雰囲気があった。
 三鷹市の新任研修は、バス1台を借り切り、三鷹の遺跡めぐりでおしまい。
 そのかわり、組合の新任研修はしっかりしていた。高尾山の薬王院に新任教員が集められ、宗像誠也さん、上原専禄さん、高島善哉さんという錚々たる講師陣の講義を受けて、議論する。すっかり感動して、3人の講師の本を買いこんで読んだ。
 教員の力量をつけるのは、職場の同僚と、子ども。担任を持って子どもと格闘することで力量がついていく。また、先輩教員に、「毛沢東の『矛盾論』はもう読んだか?」などと聞かれて読んだり、仲間と議論することで力量をつけていった。

「A」先生 初任者研修には、「授業の研修」もある。1人が授業をしてそのあと意見交換するのだが、「褒めてはいけない。悪いところを批判的に述べよ」と指示される。初任の教員同士が「声が小さい」「板書の書き順が違う」など重箱の隅まで批判し合い、互いにつぶし合う。終わったあとの飲み会などもちろんなく、同僚はライバルになる。
 宿泊研修は、自分たちも山に行ったが、スーツ着用。夜までの我慢と思ったら、9時消灯。真っ暗な部屋を指導主事が回って点呼。僕は、隣の部屋で隠れて飲んでいたら見つかり、廊下で正座。一緒に飲んだ40台の教員も、若い指導主事にとやかく言われながら、隣で正座。
こうやって思考停止にさせられる。
浅羽 私のときは、3人の講師の話のあとは、酒を酌み交わしながらの議論。先輩教員に「教研集会に行って来い」と言われ、みんなのカンパで行かせてもらった。そうやって先輩や仲間が育ててくれた。

――国家権力が戦略を持って教員を追いこんでいく中で、どうすればよいか
「A」先生 教員が地域、保護者をまきこんで平場でつながること、問題を共有していくことしかないと思う。そうしないと孤独の中で思考停止が進む。先輩の先生方には、ちょっとした声掛けでもよいので、どんどん若い教員にかかわってほしい。
浅羽 政治権力は、長いスパンでものを見ることはできないが、自分の政治権力を守るためには絶妙な先手を打ってくる。私たちはまず、政治権力の動きをしっかり見つめなくてはいけない。「鳩のごとく柔和にして、蛇のごとく鋭くあれ」の言葉のように。
 もう一つは、教科書裁判のとき、加藤周一氏が「国際社会に生きるとはどういうことか?」の問いに「普遍的価値を学び、自立すること」と明快に答えていたが、「普遍的価値」とは、「人権」と「平和」で、まさに憲法が宣言していること。権力が教育を変えようとするとき、まず、リベラルな教員を排除し、教員を変えていくというのは、戦前も同じ。政治権力に立ち向かうには、「人権と平和」という普遍的価値で国をつくるのだということをしっかり認識し、開き直ることが重要だ。

【第2部】「学校に当事者主権を」  上野千鶴子さん(東京大学名誉教授・社会学者)

みなさんは石原暗黒都政の「日の丸・君が代 10・23通達」の犠牲者だが、私は2003年に東京都教委が出した「『ジェンダーフリー』を不使用とする」という通達の犠牲者。2006年に、国分寺市で私を講師に呼ぼうとした人権講座を、都教委が踏みにじった。私は、石原がいる間は、東京都の講座には一切呼んでもらえない。

生徒も教師も当事者主権を侵されている
 ある公立中で、私の著著『当事者研究』を生徒に読んでもらい、何人かの生徒と私でパネル討論をすることになった。パネラーとなる生徒の選出にあたって、先生は「読書感想文」を提案したが、読書感想文は教師の望む優等生作文しか出てこない。そこで、1人称単数で「私が、当事者主権を侵されたとき」という題で400字の文章を書いてもらうことにした。すると、普段は発言のない男子が「ぼくは毎日、学校で当事者主権を侵されています」と書いてきた。子どもたちは、『当事者主権』の本をちゃんと読めている。

子どもが当事者主権を侵されている場で、人権教育もへったくれもないだろう!と思っていた、今日の話を聞いて、毎日「当事者主権」を侵されているのは、じつは教員であることがわかった。
 私が長く勤めていた3流、4流の私大には、「所詮」「どうせ」の塊になった子どもたちがやってくる。彼らは「やればできるよ」と引っ張りあげてもらうことがなかった。「よくもここまで叩きつぶして送りこんでくれたね」と恨みごとを言いたくなる。一方、東大など1流校に来る子は「やればできる」という根拠のない妄想を持てる。そこまで引っ張り上げてくれたのは誰?と言いたくなる。

自分の「切実な問い」を立てて、解く
 大学は、「正解のない問いを探求する」場。高校までの正解がある問いを解く「勉強」と違い、「学問」は、まず@問いを立て、A問いを解く。教員が教えることができるのはAだけ。@は誰も教えてくれない。ただし、訓練はできる。子どもの「なぜ?」「どうして?」を「うるさい!」と水をかけるのか、「おもしろいところに気づいたね」と褒めるのか。18年間の環境次第と言える。

 「問い」には、「適切な問い」もあれば、マスコミなどにあふれているような「上滑りな問い」、人生に意味があるかといった「手に負えない問い」もあるが、「切実な問い」が自分の中にあって自分をつかんで離さない人のことを「当事者」と言う。「ぼくはゲイです。そう言うだけで心臓がバクバクするけれど自分にとってこれほど切実な問いはない。だから解きたい」。「レイプの被害者です。この問いを解かないと私は一歩も前に進めない」。こういう人たちが私のところに来る。問いの大小や、優劣は問わない。あるとき、「中絶の研究をしたい」という女子学生がいて、本などを渡したが、しばらくして「読みましたが、役に立たなかった」と。彼女の問いは、「中絶後のSEXの再開について」。それは先行研究がないから「あなたが第一人者だよ」と話した。

 自分の問いは自分で解くしかないが、他人の問いを他人が解く姿(先行研究)は役に立つ。私がしてあげられるのは、自分が問いを解く姿を背中で見せること。上野ゼミはじつは、「総合学習」と限りなく似ている。20歳でできることは、15歳でも、12歳でもできる。しかし、小学校に総合学習の時間ができたとき、指導できる教員がどれだけいたか。なぜなら、人は自分が経験していないことを、人に伝えることはできないから。

どういう人材を育ててきたのか
 教育は、嫌な言葉だが「人的資本の形成」と言われる。金も時間もかかっている。国の富をはかる指標に「人的資本率」というのがある。人材育成のためにかけたお金を表す「国民教育資本率」(高等教育在籍中の学生数×1人当たり平均教育費÷GDP)は日本は高いが、公的資金の投入率は極端に低く、ほとんどが親の金(私的資本)で支えられている。
 教育が投資であるならば、当然回収を期待する。では、この人的資本への投資は本当に効率がいいのか。これだけの金と、エネルギーと、時間と、子どものストレスをかけて、いかなる人材を育成してきているのか。国民教育資本率は、「どういう人材を育てたいのか」という目標抜きに語ることはできない。
 東大生に「好きな問いを立ていいよ」と言うと、何を言われているのかわからない。「意見ありますか?」と聞くと「別に」。そういうときは「そう。私が言ったことを100%理解して、同意したのね。じゃぁ、聞くけど」と、突っ込むことが大事。

 つまり、どういう人材を育ててきたかと言うと、「右向け右」と言われたら愚直に従う人材、「黒」を「白」と言ったら「白」と言う人材。まじめに一生懸命手抜きせずにやる人材は、製造業の時代や、軍隊のように人を歯車の一つと考える場では有効だったかもしれない。しかし、21世紀はそういう人材では間に合わないことはすでにわかっている。もはや一定時間にたくさんの物を作れることが「生産性が高い」とは言わない。これまで誰も思いつかなかったことを思いつく「情報付加価値生産性」が高い人材が求められる。5時間かけて思いついても、5分で思いついても生産性は同じ。1つか2つの使えるアイデアのためには、100、200のアイデアを思いつくことが必要で、つまり、泡のようにアイデアが湧いてくる環境があることが重要。私のところにときどきユニークな子が来るが、その背後にはたいていユニークな先生がいる。それは、余計なことをやった先生。わざわざ副教材を作って慰安婦のことをやったり、ビデオ見せたり・・・。子どもは教える人の背中を見て育つ。「問いが立てられない」「意見が言えない」のは、その子たちの責任ではない。誰が、どんな環境が、彼らを育ててきたのかによる。

21世紀のグローバル社会を生き抜く力とは
 この季節、怒りを抑えられないのが、「リクルートルック」。これは、個性をおし隠すためのもの。指定校制度はすでに定着し、学歴差別が歴然とあることを彼らは知っている。「暑いから上着は脱いでいいですよ」と言われて脱いだらアウト。日本の企業が、上位下達、右向け右に従う人材を選抜しぬいていることを彼らはよく知っている。
 いまの日本企業は21世紀のグローバル社会を生き抜く力はない。私は、「新卒一括採用」人事はただちにやめるべきと言っているが、こういう採用が続くのは、1人の採用コストに300万かかるから、すぐに転職するような企業忠誠心のない人材は取りたくないと企業が考えているから。そして学生は、リクルートルックに身を包み、「社畜」になるための熾烈な椅子取りゲームをやっている。

 私の教え子の一人、古市憲寿くん(新鋭の社会学者)は『絶望の中の幸福な若者たち』という本で、「いまの若者の7割が幸福だと感じているのは、これから先よくなる可能性がないと思えば、いまが幸福だと思うしかないから」と述べているが、これは、高齢者施設とよく似ている。ほかに行き場がない所では、いまが幸せと思うしかない。強制収容所にだって、小さな幸せはある。いまの教育現場は、強制収容所に近く、出口もまた厳しいスクリーニングが待っている。こんな中で個性的な人間が育つわけはないと、私は教師を恨んできたが、教員も同様。そもそも教育委員会の教員採用人事(選抜)に問題がある。こういう人にこそ教員になってほしいという人は採用されない。
 戦後、GHQの教育改革にあった「男女共学」も「制服廃止」も、すぐに消えたが、「教育委員の公選制」も、あっという間に廃止された。教育委員が任命制になり、今度は廃止?  これに賛成する自治体の首長たちがいて、その首長たちを権力の座に押し上げる有権者たちがいる。

 石原暗黒都制が12年も続くのは、有権者の「思考停止」と「あなた任せの白紙委任」による。石原らの「もっと競争を」という政策によって最もワリを食う人たちが、石原、橋下、小泉らを権力の座に押し上げてきた。
そうやって「モノ言わぬ国民」「思考停止」で「お任せ政治」をやってきたツケが、今回の原発事故。これだけ高くつく授業料を払って、これでもし学ばなかったら最低の愚民。
 阪神淡路大震災でもそうだったが、行政機能がマヒしたとき、何がいちばん大事かというと、「現場の人間の自由裁量」。「前例」「権限」「指示」に縛られていては何もできない。今回の原発事故でも、スピーディのデータはいろいろな部局の役人が知っていた。にもかかわらず、「自分の役割ではない」「指示がない」と、誰ひとりとして官邸に情報を送らなかった。自分の判断と責任で動く官僚が一人もいなかったということだ。彼らの多くは東大出身。こういう人たちを、教育し、選びぬいて採用し、私たちの税金で養ってきた。

いちばん大事なのは「人とつながれる能力」
 今回の震災で、大勢の犠牲者を出した大川小学校では、先生の指示に従った子は助からず、先生の指示に従わずに自分の判断で動いた子は助かった。「津波てんでんこ」という言葉があるが、「てんでんこ」は連帯を断ちきるエゴイズムではない。被災地NPOの人が「『てんでんこ』は、自立と強い信頼が生みだす言葉です」と、素晴らしいことを言っていた。自分の親なら、あの子なら、ちゃんと自分で逃げられるという強い信頼があるから、てんでんこに逃げられる。信頼がない人たちが上位下達に従う。そういう人は「危機=前例のない変化」時に、役に立たない。
 日本はもはや、追いつき追い越せの時代は終わった。超少子高齢化社会は、日本が最先頭を走っている。世界のどこにも日本が手本とする社会はない。これからは、これまでの「前例」は役に立たないことを、おとなが子どもたちにきちんと伝えなくてはいけない。
 いま、子どもが減っているが、私たちの研究データではっきりしていることはは、従来通りの結婚観・家族観を持っている人ほど、結婚しない、子どもを産まない。結婚観を変えた人、男に対する期待を早々と捨てた人ほど、早めに男をゲットしている。

 いまの日本社会には、子どもを産みたいと思わせる要因はなく、少子化を覆す兆候はない。私たちにできるのは、滅びていく日本を、せめてハタ迷惑にならないように安楽死させることかもしれない。でも、この船がドロ船ならば、自分だけでも逃げてほしい。世界のどこかで生き延びてほしい。私の教育の目標はそういう人材を育てることだった。これは偏差値ではない。どんな状況でも、どんなところでも生き延びることができる力。
言葉もわからず、知人もいない難民は無力の極みだが、どんなに無力でも、無能でも助けを調達する能力さえあれば、どこに行っても生きられる。それは「絆」をつくる能力。人と人とのつながりを作る能力。その能力を、教育が壊してきた。教員の初任者研修は、同期との絆を壊す最低の教育と言える。教師が「ほめて育てられる」ことなく、競い合い、監視し合っている中で、子どもたちは「出過ぎると叩かれる」ということを学習する。人と人のつながりを壊してきたのが、ネオリベの競争社会であり、それをもっと進めようというのが、石原、橋下、小泉路線だ。教師が不幸せなところで、子どもが幸せになることはない。
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2011年12月11日集会 「原発の安全神話を支えてきた『学校教育』 」

2012/01/01 10:21
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*** 国策としての「学校教育」から → 子どもたちのための「学校教育」へ ***
“絶対安全の原発”という幻想を広げ、原発推進の力となった安全神話。人びとを自分の頭で考えることから遠ざけ、上意下達の命令に従わせる。『日の丸・君が代』強制に象徴される学校教育が、それをおこなわせる手段へとねじ曲げられてきた。

■日時:2011年12月11日(日)午後1時(開場)1:30〜4:30 ■会場:明治大学リバティタワー 16階 1163号室
■内容:   [パネルディスカッション]   コーディネーター:古山葉子さん(通訳・現役保護者) 
☆鎌田 慧さん(ジャーナリスト)
☆俵 義文さん(子どもと教科書全国ネット21事務局長)
☆根岸富男さん(原子力教育を考える会・高校教員)                  
■共催:子どもはお国のためにあるんじゃない!」市民連絡会、学校に自由の風を!ネットワーク、子どもと教科書全国ネット21



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学校に自由の風を!ネットワーク 2012年1月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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